2016年8月30日火曜日

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涼しくなってきましたね。
今回はたまたま図書館で見つけて、それ以来忘れられなくなった本を紹介します。

M.T.アンダーソン著『フィード』です。
翻訳は金原瑞人(金原さんの翻訳書にははずれがない気がします)

☆あらすじ☆
最新のファッション、新作のゲーム、今の気分にぴったりのBGM・・・・・・。
欲しいものはみんな、脳の中に埋め込んだコンピューター「フィード」が運んできてくれる。
そんな世界に暮らす主人公タイタスは、友だちとつるんで出かけた月のクラブで、不思議な女の子ヴァイオレットに出会った。1週間ごとに変わる流行にキャーキャー群がる同級生の女の子たちとはちがって、ヴァイオレットはいつもいろんなことを自分の頭で“考えて”いる子だった。おたがいに魅かれあう二人。だけど、ある事件をきっかけに、ヴァイオレットのフィードの調子がおかしくなっていく…


アメリカのいわゆるヤングアダルトものですが、
ただの青春ものよりも複雑で悲しくて...
大人が読んでもおもしろい小説です。
設定は近未来でSFですが、すぐになんでも検索できて、
ほしいものも手に入る「考えなくてもいい」
今の時代にとても近いと感じました。
最近この本のことを書きたいと考えていて、
これって『華氏451』に似ているなとひらめきました!

トリュフォーの映画は見たんですが、ブラッドベリの原作はまだ読んでません...
考えることをやめた、もしくは今まで考えたことのなかった役人の男性と
「本=文化」を愛している女性が出会って、
男性の頭に突然感情や思想が流れ込んでくるんですが...

それを高校生に置き換えてアップデートしたのが『フィード』だと思います。
『華氏451』では、男性は当惑しながらも女性を受け入れます。
でも『フィード』のタイタスは、この感情は何なのか、
なぜ自分が混乱しているのか、幼すぎるせいでわからなくて、
未知のものを受け入れられなくて、慣性に負けてしまうんです...
「フィード」に依存した世界では、「物事を考えること」「疑問を持つこと」の方が異常だから、
時代に取り残された学者の娘ヴァイオレットは「グロテスク」な存在なんでしょうか...
でも流行に身を任せている女の子達とどちらが「グロテスク」なのかは描写から明らかです。
女の子たちは流行だからといって自分たちの体に自ら「タダレ」をつくるんですから。

不条理を受け入れたり、慣れてしまうことって本当に怖いですよね...
今の私にとても切実な話なので、勢い余って
ちょっとねたばれしてしまいました。
映画や小説に出てくるVioletという名前の女の子は
印象的で、なぜかだいたい好きです。

この秋こそ本をいっぱい読みたいです。
Good Night☆

Marikukico


2016年8月14日日曜日

Nymphlight





今はちょうど夏休みで、実家でゆっくりしています。
ちなみにエリザベス・ボウエンの『リトル・ガールズ』を読んでいます。
読み進みません。ボウエンのことについてはまた詳しく書きたいです…


私も映画を作っていたので、shioringoの気持ちとてもわかります。
最近の映画って何でもかんでもわかりやすい記号のように表したり、
知らないうちに定型にとらわれていたり、すぐに自分の思想を言葉に
してしまうものが多くてうんざりしてしまいます。愚痴はこのへんにして…







私もものすごい短い映画を紹介します。Joseph CornellのNymphlightです。
Joseph Cornellはアッサンブラージュが有名なアーティストですが、
映像も撮っていて、どれもほんとに素直で優しくて、
繊細な彼の人柄が滲み出たものばかりです。
Nymphlightはただただ夏の1日(おそらくニューヨークの)を
切り取っただけでストーリーも無いですが、光がほんとに綺麗で
女の子もこの瞬間が最高に美しいのではないかと思うほど自然に輝いてます…。
何よりも街の人々、生き物を見つめる目が真摯で、あたたかいです。
Cornellのアッサンブラージュは思い出や心に留まった瞬間などの「過去」を
箱の中に留めておく、封じ込めておくように作られてると感じるのですが、
彼にとっては映像も同じ「箱」なんだと思います。
美しいものを留めておく箱!

Cornellは子供のような感覚を持ち続けている人なのか、
子供の頃の記憶をもとにしたノスタルジックな作品が多い気がします。
夏は小さな頃のことを思い出すことが多いですよね…特に嫌な思い出。
カマキリをバッタと一緒の虫かごに入れて、
しばらくして見たらバッタが頭だけになってたとか。
江國香織の『すいかの匂い』とか好きだけどほんとにそないな感じ。
ある意味郷愁の季節です。ノスタルジア!


タルコフスキーは映画の雨のシーンの意味を尋ねられたときに
「意味なんてない。ただ雨の美しさを感じることができないなんて悲しいね」
みたいなことを言ったらしいです。
私的な芸術に対して一観者がいちいち意味を求めるのはナンセンスですよ!





Marikukico

freiheit



ご無沙汰してまいました~!

もう気付けば8月でございます
はやいもんですなぁ

前回のmarikukikoのバースデー祝い、めっちゃ嬉しかった~!
トーキングヘッズのあの曲はほんまに元気でるね。
最近よく通勤するときに聴いてます。
そして塩加減気を付けます。
グラストは絶対いきたいーーー!
これからもよろしくね。


秋は一番すきな季節ですが、なかなか毎年100%たのしみきれてない
気しかしないので、今年こそうまいもんとオシャレな服をきて
もう根こそぎたのしみたいですね

まぁまだ夏なんですけど、夏といえばヒッピーですね
私は学生の頃、60年代がとても好きだったのですが
まあ今も好きなんですけど。
私は学生のときに映画サークルに所属してて
映画をつくっていました。
部員たちはわりと真面目に映画をつくっていて、
このカットはどういう意味があるとか、そもそも映画を撮る意味とは?
という難しい観点が重んじられていましたような気がします。
勿論、その観点は映像を制作するにあたってはとても大切です。
しかし、相反しまして、私みたいな、
わりとミーハーで「やべぇ」「かっけぇ」「おもろい」とか
すっごい単純な発想で映画を作っているような奴には
なかには私の作品をディスる人だって、居ました。
ああ懐かしいですね。

そのような作品のなかのひとつに「Peace?」って作品があります。
ヒッピーに竹輪を食わせつつギターを弾かせ、最後には死ぬ内容です。
まぁそんな内容はどーでもよくて、私がその「Peace?」を撮ろう!!
と思うきっかけになった作品があり、それを最近また観たので紹介します。


「Freiheit」 George Lucas 1966



2分48秒とものすごく短い作品です。
一切無駄がなくって、終始緊張が走ってる感じが
ものごっつい情熱を感じたんですね。
長々しいつまらない映画こそ意味は無い!と思いました。
やっぱり何度観ても、私にとっては衝撃的な作品です。
主人公の男の子はひとことも喋っていませんが、
ほんまに緊迫感ありますね~~

映画をめっちゃ観るほうではないですが、
最近さらに観ていない状態でして、
YouTubeをいろいろみてたらこの作品を思い出して、
観てみたらやっぱり衝撃うけまくりでした
他ではやっぱり感じることが出来ない衝撃ですね~
とてもシンプルな作品ですが、
60年代の時代背景がこの短い映画に詰め込まれているところが
最高です。やばい。

こんなすんごい作品を観て、私もこんなん作りたい。
と思いましたが,
ドレッドの友人に竹輪を食わせ、弦の切れたギターを弾せる始末。
まぁそんなこともありました。
けど、私にとってFreiheitは
映像ってすごいなと初めて、心から思えた映画です。

こんなふうに色々考えていたら、また少し、映像撮ってみたくなりました。

まぁどうせまたくだらん映画にはなりそうですけどね。